6月16日、全労済ホールにて極上文學「春琴抄」を見てまいりました!書くのおそくなってごめん!
さすがである。
Wiki先生の概要がわかりやすすぎた
てなわけなんですが、極上文學シリーズは若い女性向けの演目なので、若手のイケメン俳優と呼ばれるジャンルの方々がバンバン出てきます。当たり前のように演者に女性はいません。全員男性。
今回私が観た回は、
春琴・伊崎龍次郎
佐助・和田琢磨
利太郎・足立英昭
鶯・鈴木裕斗
私・川下大洋
本当に申し訳ないことにあまりご縁のなかった面々だったのですが、本当に素敵でした。
伊崎さんは声がもともと高い方なんですかね、春琴の声がとても綺麗でした。細く、丁寧で、わがままで、可憐。そんな声をしていました。
今回とくに感動したのは、「メタフィクション」としての表現力の高さ。
極上文學は朗読劇なので、舞台上に台本が存在します。いつもは演者さんそれぞれが台本を持っていて、それをうまく小道具として使っています。影で機織り機にしてみたり、人にめくられて時間の停止を感じたり……朗読劇という点を利用しているんでが、今回はもう。
春琴が自ら台本を見ることをしない!
春琴は盲目なので台本など見えていない、というのはわかります。そこまでなら、今までの極上文學さすがだな、で終わっていた気がします。
それだけではとどまりません。春琴の台本は、常に第三者が差し出すのですが佐助か鶯が差し出したものしか読まないのです。
最初、春琴が自らの台本を持たないことに気がついたときも感動しましたが、鳥肌が立ったのは、
利太郎が差し出した台本を突っぱね、佐助から差し出されるのを待っていた瞬間です。
盲目の春琴ではありえないことなのですが、演者さんは見えているし、そもそも朗読劇だから台本を読んでいる。そういったメタフィクション要素を、本当に上手に使っていたと思います。涙が出るほど素敵だった。
極上文學の魅力は他にも、客席に入った瞬間すでに具現師の方々が世界観を作り始めていること、マルチキャストによる一公演ごとの変化、うたかた師・橋本啓一さんによる美しい音楽、小さなひとつの板のうえで多彩な世界を描く美術、赤眞コーナーと呼ばれるアドリブコーナー……など、本当に大好きなものばかりです。
あの空間にいるだけで幸せになる舞台はこれ以外にない!そう思っています。
次回は江戸川乱歩著「人間椅子/魔術師」ということで期待しています。超楽しみ!!
チケットがご用意されて欲しいです。最高の舞台をいつもありがとう!!
いずれあわよくばジャニーズの面々でも公演して欲しい!