飛び出し注意

オタク備忘録

コインロッカー・ベイビーズ――どこまで行っても壁だ。

6月10日、赤坂ACTシアターにて、「コインロッカー・ベイビーズ」を観てまいりました!

www.parco-play.com

本当はすぐに感想を書きたかったのですがとにかくすごい力と熱量と内容に圧倒され、考えこんだりなんだりしていたら時間が経ってしまいました。それでも色褪せてはくれないものがあって、この舞台が今上演されて、観ることができたことを嬉しく思います。

原作未読のまま観ることになったのですが、これから原作を読ませていただこうと思います。ハシの歌声を知ったうえで原作が読めると考えるとなんと幸せなことでしょう。

 

さて、雑感です。前述のとおり原作未読なので、解釈など誤りがあるかもしれません。

読んで変わったことはまた追記したいです。

ネタバレもしていますのでこれからの方はご注意を。

 

開場時点で幕が上がっていた舞台上に、駅員が「あっちー」という言葉とともに姿を現しました。駅員は真田佑馬くん。実は昔からお世話になっていた*1ので、こういった場所で観られたことが嬉しかったです。

清掃をしていた駅員が、「ダメだろ、ロッカー。あけっぱなしにしちゃ」とつぶやき、ロッカーが大きな音を立てて閉じられます。もちろん、中に赤子がいたかはわかりません。しかしその瞬間、ぶわっと鳥肌が立ちました。

暗闇から「あつい……あつい……」「息が苦しい」という声が聞こえ、ギターの激しい音とともに、ロッカーに閉じ込められた赤子たちが踊りだします。これまで、漠然としか「コインロッカーに捨てられた」ということを捉えられていなかったのですが、ここで現実みを帯び、正面からじわじわと恐怖が襲ってきました。「死」に直結することだと考えきれていなかったのに、そこにははっきり「死」がありました。

「捨てられたのさ ママに パパに 運命神様に」

という詞が、バンドの音とともに悲しく響いてきます。大人が赤子の姿をしている滑稽さ、悲しい詞ののった激しいバンドサウンド。そのアンバランスさが、この物語の狂気の世界へと引きずり込むよう。

セットの中央からハシ(橋本良亮)とキク(河合郁人)が現れ、舞台を駆けながら歌をうたいます。

流石に歌が上手い。

圧倒的、もちろん他のキャストの方々もうまいのですが、ふたりを立てようとしてくれているのが分かりましたし、そもそも負けないくらいに歌が上手い。すごい。

そして次の日(と思われる)、駅員がまた姿を現すと、今度は「おぎゃあ」と赤子の声が聞こえ、駅員はハッとします。

「赤ん坊の声だ!」

 ここの顔がすごくよかった……。真田くんもっと演技の仕事して……。

生き残ったのはハシとキクのふたりは、同じ精神病院で治療されます。

ふたりのエネルギーを鎮めるため、鼓動の音と、波の音を聞く治療法。ハシはその音にとりつかれていき、狂っていきます。

 

このまま書いていくと書き終わらないと判断したので役柄で感じたことをざっくりとまとめていきます。

 

・ハシ

第一幕でのハシの幼さからくる不安定さ、弱々しさとともにある儚さが素晴らしく丁寧に演じられていて、脆いガラスのような声で一言一言が発されるたび泣きそうになりました。しかし第二幕では一変、音を求め狂い始め、今度は狂気による不安定さを力強く、鋭く、鮮明に描きだし、その狂気にこちらも当てられてしまいそうになります。とくに終盤の音を手に入れる直前、呆然としながらヘッドフォンで犬の鳴き声を聞いているところの表情は本当に恐ろしくて、今でもはっきりと思いだせます。

橋本さんの持つイメージからは全く想像もできない声と表情で、「ハシ」という人物しかそこにはいなかった。第二幕の衝撃をきっと生涯忘れることはないのでしょう。

 

・キク

静かな中にある情熱と激情、冷静であろうとした殻の中にあるもの、その姿をしっかりと体現していて、認識できる存在でした。育ての母やハシのために奔走し、アネモネと恋に落ち、産みの母への嫌悪や不信感を持つ、あの物語の中で一番人間らしいキャラクタ―だったように思います。だからこそ一番しっかりと板の上に立っていなければならなくて、地に足をつけていなければならないし、浮いた世界に溶け込まなくてはならない、バランスが問われる役立ったと思います。

河合さんの声はとても特徴的で、静かな声と叫びやがなりの声、そしえ歌声はどれもは印象が随分違いました。それらがじわじわと変わるとき、スイッチのようにはっきり変わるとき。常にその声がバランスとなり、キクの姿をよりくっきりとこちらに見せてくれたように思います。

第一幕最後の慟哭と第二幕冒頭の静かさの差には鳥肌が立ちました。休憩なしで連続で見る機会があれば体験してみたいものです。

 

アネモネ

とにかく可愛らしく、それでいて凛々しく気高い。とても美しい女性でした。プログラムに「本当に魅力的な女性は時代を選ばない」と昆夏美さん自身が語っていましたが、まさにその通りでした。このヒロインはきっとどこの世界でも魅力的で、見る人を虜にするのでしょう。

明るく舞い踊る歌も、しっとりと歌い上げる歌も、どれもが耳に心地よくて、アネモネが生きている瞬間、退廃的でモノトーンな世界が鮮やかに色づくような感覚でした。

 

・ニヴァ

ハシのパートナーであり、心の支えであり、音を呼び起こす存在であったニヴァ。第二幕、ハシが狂ってからの献身が印象に残っています。

母親のいないハシにとってニヴァは母性でもあっただろうけれど、それだけではなかったと思います。女性の象徴のひとつであり、また子を育てるために必要な乳房を失った女性。それは、母親を失い同性愛という業を背負ったハシとよく似ているのだと思います。歪んでいるからこそ惹かれあう、欠けた存在だから惹かれあう、そういう心の深い部分で繋がった関係。そしてニヴァは、ハシの存在によって欠けたものを埋めることができた。しかしハシはそうもいかず、狂ってしまった。だからこそこのふたりは悲しくて、儚い。最後の、「この子は生きて、蝿になったあなたを踏み潰すの」という言葉が、私にはひとつの呪いに聞こえたのでした。

 

・タツオ

真田さんが演じた役で、またこの作品でもっとも可愛らしかった。明るく狂った彼の笑顔が暗い第一幕にぼんやり灯るあかりでした。キクに「いいやつ」と言われたがり、そしてテンションが上がってしまうさまが愛らしかったです。

「ハシをいじめる奴は俺が許さない」という言葉から、彼の心優しさが受けとれました。可愛かったなあ。

 

・D

驚異的なビジュアルとキャラクター、そして圧倒的な存在感!さすがROLLYさんとしか言いようがありません。

Dの変態性とエンターティナー性は、現実世界では相当異質なものなのでしょう。しかしこの舞台は狂っていて、狂った人物ばかりです。その中で見るDは、もはや真面目な人にすら見えました。ハシを慈しむ様子を見せながら、しかし商品として利用することを忘れない。ビジネスのできる大人。

彼は傍観者であり続けたような、そんな気がします。

 

他の役どころも個性的、狂気的で見ていてドキドキするキャラクターばかりでした。

誰かが動くたび音が響くたび、何が起こるのか、何が狂ってしまうのか、そんなことに気をとられ、息をするのも、時間も忘れて魅入ることができました。観たあとはしばらく呆然として、ただ作品を振り返ることしかできなかった。これを受けて自分はどう思ったのか、どう感じたのか。この作品に出会えたことの意味もふくめてぼちぼち考えながら、毎日を過ごしたいと思います。コインロッカー・ベイビーズダチュラなのだ。

最初にも言いましたが一週間たった今でも色褪せないですし、まだしばらく引きずるのでしょう。

映像化するのであればぜひ繰り返しみたいなと思います。そんな期待も込めながら。

千秋楽までどうか、キャストスタッフのみなさんが怪我なく、楽しく駆け抜けられるよう願っております。

本当に観れて良かった!そう心から思える舞台でした。ありがとう!

 

寝盗られ宗介――熱量で魅せるもの

5月25日、戸塚祥太主演舞台「寝盗られ宗介」を観てきました。

自分にとっては初めてのつか作品、錦織演出、新橋演舞場、初めてづくしでした。

11時とイレギュラーな速さに驚きつつも劇場へ。若干迷って間に合わなくなるかと思った。

 

第一幕65分、第二幕75分に幕間35分を含めた計165分と長い時間、とても満たされた空間でした。

席についた瞬間に思ったのはステージの高さとスクリーンの大きさ。さすが帝国劇場の代替劇場でもあったとされる演舞場、今まで見たことのある小劇場とはちがうなという気持ちでした。

照明が落ち、オープニング映像が流れ、幕が上がります。

一座を率いる北村宗介とその内縁の妻、レイ子をとりまく様々な感情を、劇中劇を織り交ぜながら表現されていきました。

キャストのラインナップからすでに期待していたのですが、やはり一人一人の熱量が凄まじく、弾丸のように放たれていく台詞に圧倒されるばかり。アドリブらしき部分もあり、ただでさえ膨大な台詞の合間にそうして個性を魅せる姿勢に感動!また劇中劇に変わるタイミングが余りになめらかで、常に頭を働かせていないとおいていかれる!と必死に舞台を見つめることしかできません。

第一幕、第二幕共に食い入るように見つめ、熱量と勢いに圧倒されながら振り落とされないよう必死でしがみついているうちに終わってしまう、そんな舞台でした。

確実に一度では見切れない情報量で、繰り返し見て、自分の中で消化したかったです。残念ながら今回だけなので、記憶を頼りにすこしずつ時間をかけてじっくりと解釈を深めたいと思います。

 

しかし、あの、戸塚さんの顔が素晴らしく整っている。

客席から見ていて、双眼鏡を使うまでもない!出てきた瞬間から、その小さな顔にひとつひとつが綺麗な顔のパーツが、まるで神のパズルのように配置されていて、こんなに美しい人がこの世界にはいるのだなあ……とため息が漏れました。あまりにも綺麗すぎる。その顔を堪能できるだけで十分チケット代の価値はあったように思います。戸塚祥太はいいぞ。

関西Jr.の藤原丈一郎くんもとても可愛くて、ジミーという、劇中でも愛嬌のあるキャラクターをしっかり演じられていたと思います。第二幕の「座長が必要としてくれるなら、僕はここにいます」*1が切なく胸に響いてきました。東京に来たジミーにお小遣いあげたいし電話かけてあげたい。

 

長期間の公演でキャスト、スタッフの方々は大変だったと思います。千秋楽までもう少し!最後まで怪我なく、熱量をもった作品として仕上げて欲しいなと思います。

面白かった~~!

 

 

 

*1:ニュアンス

アイドルと舞台と

チケット管理ファイル感覚ではじめてみたものの、なにを書くかざっくりとでもまとめておいたほうがいいかなと感じたので好きなものをまとめておこうかな、と思います。

 

▼アイドル

生まれてこの方アンチジャニ系のアニメヲタだった自分が「ジャニーズWEST」を推すジャニヲタになっていた! 何を言ってるかわからねーと思うが俺にも何をされたかわからなかった…。

そんなかんじでいつのまにか推していた系アイドルです。所謂担当は神山智洋くん。

最近はSixTONESの田中樹くんとかFunky8の林真鳥くんが気になります。

 

▼舞台

原作が大好きな舞台「弱虫ペダル」をきっかけに役者・舞台沼へとまっしぐら。

西田シャトナーさんの作る舞台が大好きです。

好きな役者さんは玉城祐規さん、村田充さん、宮下雄也さん。

 

ジャニーズにハマってこれまで以上に増えた「現場」にお財布が追いつきませんが、おかげさまで楽しい人生を送っています。

 

 

 

ムッシュ・モウソワール。

チケット管理用のファイルを買うと共に、まえまからやってみたいなと思っていたはてなブログに手を出してみました。観劇の備忘録とか、妄想とか、そんなことをつらつら好き勝手置いておく場所として。

 

2016年5月15日、赤坂草月ホールにて『ムッシュ・モウソワール第二回日本来日公演「レッド・ジャケット」』を見てまいりました。

monsieur-mausoir.com

第一回の際あいにく都合で見れなかったムッシュ・モウソワール。再来日が決定したときに何があっても行くぞ!という強い気持ちがあって、その気持ちに従うがまま千秋楽のチケットをご用意してもらいました。(なんで一公演かってお金が無かった)

 

簡潔に言います。

めちゃくちゃ面白い。

前作についてもざっくりとした評判しかきいておらず、HP以上の情報を入れずに行ったわけですが、それがよかったとおもいます。

見ていただいたらわかるんですけど公式HPをみても何もわからない。

分かるのは最低限の情報と「なんかスゴイ」ということだけ。それが楽しみのひとつでもありました。

いやもうほんとに、何が起きていたのかわからなかったくらい圧巻の100分。DVD買います。

公演プログラム(正直な話A3はでかい)に戯曲がまるっと掲載されているという余りにお買い得な状態でいくらでも内容に触れられるのですが、それでは面白くない。

そんなわけで、内容をかすめつつ雑感を述べていきます。

 

まずはあらすじ。

どことも知れぬ街の片隅の、壊れかけた建物の、ちいさな部屋の中で5人の男たちがここから脱出する方法を話している。 瀕死の男。外へ出たがる男。中に居たがる男。軍人。そして化け物。ちなみにこの街は化け物の軍隊に襲われて全滅したのだが、 1人だけ、化け物の若者が回心して彼らの味方になって行動を共にしているのである。
「たとえば、奴らが立ち去るまで、ここに息をひそめ続けるのはどうだろう?」
「たとえば、思いきって外へでて、奴らと戦うのはどうだろう?」
「たとえば、地面に穴を掘って…」
「たとえば…たとえば…」
彼らは生き延びる方法についていつまでもたとえ話を続けるがなかなか実行する勇気がない。 たとえ話ばかりを頼りに、果てしなく意見を戦わせ続ける彼らは、次第に現実と妄想の世界があいまいとなってゆく。 いつしか、彼ら自身全員が「たとえ話」でしかないのか?という恐ろしい想像の中、それでも生き延びる方法を探り続けることになってゆく。 はたして彼らに明日はあるのか…? これは5人の男たちが語る「たとえ話」にまつわる冒険譚である。

……?? うんこれだけでは何もわかりませんね!

でも見てみるとわかるんだな……。地面に穴を掘ってって話してなかったけど。

「たとえば」と「たとえるなら」が多用され、だんだん何が現実で何が妄想かわからなくなってくる。これがモウソワール。

前説で「我々の舞台はふわっとはじまります」と告げられますが、まさにその通り。たわいもない話を前説から続けてしているのかと思っていたら、すでに物語は始まっていたのです。「たとえば、こんな男がいて」そう言った瞬間、そこにいたはずの平野良伯は、赤いジャケットを着て、密室に閉じこもった男にかわりました。そうして、一人ひとりが物語の一員に変化していきます。

 

「今の状況をたとえるなら」という大喜利が始まったり、コントを見ているのかと錯覚してしまうような前半部分。強いギャグ要素に笑いが止まらないと思えば、外へ出たがる男と中に居たがる男が取っ組みあってもめたり、軍人に悲しい過去があったりと、シリアスなシーンを見せつけられます。どこまでがアドリブなのかわからないくらい勢いのあるギャグと演技。戯曲を読んでいてわかりましたが、ほとんどがシナリオ通り。ギャグとシリアスのバランスのよさは、さすが西田シャトナー伯といったところでしょう。全力のギャグに笑わされたのに、次の瞬間の真剣な台詞がすっとあたまに入ってくる。脚本はもちろん、演者の熱量も強く感じられました。

とくに宮下雄也伯の危機迫った大音量の「たとえば!」、佐藤永典伯の息つく暇もない早台詞は圧巻です。これを生で見聞きできる快感は、他と比べものになりませんでした。

4人の役者に負けないオラキオ伯の迫真さにも驚かされました。やはり何らかのジャンルで表現者だった人は、別のジャンルでもうまいものです。立派な一人の役者でした。

妄想は次第に黒い影を帯び始め、笑いの要素は控えめになっていきます。

そしてクライマックスは、誰もが予想し得なかった展開を遂げ、5人の男はまたもとの姿に戻りました。なんて鮮やか! 役者のすごさを見せつけられ、まるで嘲笑われているかのようでした。

 

つらつらと綴ってみたはいいものの、正直な話たくさんの人にこの舞台を見て欲しい!!という気持ちばかりが先走ってうまくいきません。こんな雑感では1/1000も表現できないくらい熱く、騒々しく、美しく、儚く、麗しい妄想でした。

前回の公演を見れなかったことを本当に悔しく思います。

今回はDVDが出る!なんて幸せなことでしょう。

さらに今一度の来日を願って、ムッシュ・モウソワール。